本当の問題はお金そのものではなく、無駄か有用か、なのだ。人間が動物を利用せずには生きられないとしたら、毛皮に反対する気持ちなどなくなるだろう。贅沢な生活に憧れるようになったファッション・ヴィクティムも、すでにそうした生活を手に入れてしまった人々の浪費ぶりには不満たらたらである。私たちは、口座を空にしてでもポルシェを買う中年男性に驚きあきれ、ビュッフェでロブスター五匹分の爪だけを食べてあとは捨ててしまうようなとんでもない女性に口をあんぐりさせ、ペットのワンちゃんにグルメ・フードを大盤振る舞いして犬用の温泉にまで出かけていく飼い主連中を鼻で笑う。誰でも無駄づかいはしているくせに、自分より裕福な人も浪費することが気に入らないのだ。中流の浪費者の目には、金持ちの散財が―鼻持ちならないことに―ありあまるお金を見せびらかしているように映る。たとえば、五〇〇〇ドルをどこかに置き忘れても眉ひとつ動かさない百万長者はどうだろう。不条理なこととわかってはいても、嫉妬せずにはいられない。ファー・カラーといったトレンドのおかげで、大衆にも手が届きやすくなってきた毛皮だが、贅沢さに直結する存在であることには変わりない。立派な宝石や貴金属のように、ファー・コートも、誰もが持てるわけではないからこそ価値がある。あなたには毛皮なんか持てない……そう言われれば欲しくなってくるのでは?